質問:4月26日のレッスン内容についてですが、各章の前文のまとめはモルモンが書いたものをジョセフ・スミスが翻訳された、とのこと(各章のまとめはオルソン・プラットによる)でした。
失われた116ページの後ろのほうにモーサヤ書の前文を含め、最初の部分で失くなったものもあったのではないか、そのためにモーサヤ書の前文がなくなったのではないか、とのこと。なるほど、そうなのかー、と新しい発見でした。ありがとうございます。
質問はここからです。
失われた116ページの代わりに神の賢明な目的でニ―ファイの小版が用意されていたのですが、この小版にも当然前文があります。これらの前文もモルモンが書いたものでしょうか? ニ―ファイの小版をそのまま挿入したものであれば、小版にはモルモンが書き込めるほど金版の余地はなかったかも、と思います。
また、第一ニ―ファイ第1書の前文には「言い換えれば、わたしニ―ファイがこの記録を書き記したのである。」とあり、この第1書はニ―ファイが前文を書いたのかな?とも思えます。
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回答:素晴らしいご質問をありがとうございます。
姉妹のように細かく考えてくださっている兄弟姉妹がいらっしゃると知って嬉しい限りです。
ご指摘のことは全てモルモン書を研究している方々の推測ですが、確かにモルモンの纏めた各書のまとめがモーサヤ書は抜けています。この説明には2説考えられます。
(1)は、ニーファイがニーファイ書にあるまとめを書き、小版にあるその後の書のまとめも、各著者が同じようにまとめを書き、モルモンもそれに倣って各書のまとめを書いたという説と、(2)モルモンがニーファイ小版をモルモンの抄版に挿入した時に各書のまとめをしたという二つの説です。
ほとんどの研究者は(2)だったろうとしています。僕個人も、(2)だったと思います。
その理由として、
- モルモンは、まとめるのが上手で、モルモン書のほとんどがモルモンの手によってまとめられている。タイトルページと言われているモルモン書のはじめのページもモルモンがモルモン書の最後にあったページをジョセフ・スイスが翻訳して最初のページにしてある。
- モーサヤ書以外で各書のまとめがないのは、モルモン書とモロナイ書だけ。これは、モルモン書を完結し、モロナイ書を書き終えたのはモロナイで、モルモンではなかった。タイトルページはモルモンが戦死する前に書いたと思われる。つまり、モルモンは、モルモン書を抄本にする大業を一人で成し遂げた。
- まとめは、全て三人称で書かれていることから、モルモンが書いたと思われる。もし、ニーファイと9人の著者が書いたとしたら、書の本文と同じように一人称で書いただろうと思われる。
こんなことから僕も(2)の説が正しいと思いますが、このようなことは、モルモン書を読むときに、そこに書かれているキリストの教えに比べると全く些細なことかもしれません。時間の中でもっと大切な部分まで説明できなくて残念だったのですが、モーサヤ書に書かれているベニヤミン王の素晴らしい模範、自分の子供にキリストの証をしていること(モーサヤ1:1-9)、民にキリストのことを教え、自分でキリストの教えを自身の模範で示し、自分自身で働き、民からの報酬(税金等)で生活しなかったこと、天使がキリストの贖罪について説明し、現在のキリスト教では教えていない贖罪の大切な教えを説明していることなどです。
特に、キリストの贖罪は、キリストの教えを知らずにこの世で生を受けた人にも、善と悪をまだ見分けることのできない幼児にも及び、そのような人は、儀式とか信仰に関係なく救われるということです。このようなことを教えている代表的な聖句を掲げておきますが、このような大切なことを話す時間がなかったことを深くお詫びいたします。
渡部 正和
モーサヤ書 1:2
2 さて,彼には三人の息子があって,それぞれモーサヤ,ヒローラム,ヒラマンと名付けられた。彼は,先祖のすべての言葉によって彼らが教育を受けられるようにし,それによって彼らが思慮分別のある者となるように,また先祖の口を通して語られ,主の手によってもたらされた数々の預言について知ることができるようにした。
モーサヤ書 2:16-19
16 見よ,わたしはあなたがたに言う。わたしは自分の生涯をあなたがたのための務めに費やしてきたと言ったが,それは自慢したくて言ったのではない。わたしは神のために務めてきたにすぎないからである。
17 そして見よ,わたしがこれらのことを語るのは,あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち,あなたがたが同胞のために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである。
18 見よ,あなたがたは,わたしのことを王と呼んできた。あなたがたが王と呼んでいるわたしでさえも,あなたがたのために務めているとすれば,ましてあなたがたは,互いに務め合うようにすべきではないだろうか。
19 また見よ,あなたがたから王と呼ばれ,生涯をあなたがたのための務めに費やし,それによって神に仕えてきたわたしが,あなたがたから幾らかでも感謝を受ける値打ちがあるとすれば,おお,あなたがたはどれほど天の王に感謝すべきであろうか。
モーサヤ書 3:11-12
11 そして見よ,この御方の血は,アダムの背きのために堕落した者たちの中で,自分たちに関する神の御心を知らずに死んだ者たち,あるいは気づかないで罪を犯した者たちの罪も贖う。
12 しかし,自分が神に背いていることを承知している者は,災いである。災いである。悔い改めて,主イエス・キリストを信じるのでなければ,このような者には決して救いは与えられないからである。